健康・スポーツよもやま話ブログ

健康に関する情報やスポーツのホットな話題やトピックスなどを紹介しています。

gamaって誰?

はじめまして!

ブログを訪問していただき、本当にありがとうございます。

ハンドルネームgamaと申します。

 

ハンドルネームの由来は、九州の一部地域で、頑張ることを「がまだす」ということから、

頑張る男という意味で、gamaと名乗っています。

 

仕事は、

今は、経営から身を引き、自分が創業した、

健康・スポーツ施設やレジャー施設、スクール事業を運営する会社の顧問。

長年の施設運営の経験を生かして、健康・スポーツ施設などの企画監修アドバイザー。

中小企業や個人事業主さんを対象に、集客のための情報配信ツールの開発と

システム導入のアドバイスなど、コンサルタントとして活動しています。

 

 

このブログでは、私が体験した、運動やスポーツが持つ、魅力や楽しみ方。

読まれる方が思わず「へえ~、なるほどなぁ~」と思われるような話や

トリビア(雑学)などをご紹介していきます。

ほかのブログでは、取り上げない様なマイナーな競技なども

ご紹介していきますので、お楽しみください。

 

運動・スポーツが持つ力

 

運動・スポーツは、貴方が思っておられるより以上に、

人の心を動かす力をもっています。

 

自分で行った時には、終わったときの達成感や爽快感が味わえ、

TV観戦の場合でも、選手たちの活躍に思わず、涙したり、

拍手したり、大声で応援したり。

 

運動・スポーツは、個人が楽しむのは、もちろんですが、

地域と人、人と人をつなげる、人を元気にするといった、大きな力ももっています。

 

運動・スポーツが、地域社会を明るくする。

 

身近な例をあげれば、先ごろ日本国中に感動の嵐を巻き起こした、

平昌オリンピックでの選手の活躍です。

 

なかでも、女子カーリングチームの地元の盛り上がりが凄く、

出身地北海道北見市は、市民総出で熱狂的に出迎えていました。

 

そのTV映像を見て、涙を流した人も多かったのではないですか?

・・・ 私も、もらい泣きをしてしまった一人です。・・・

 

そのほかでも、スケートやジャンプの選手は、北海道をはじめとする

北国の地方都市を本拠にしている人が多くいます。

 

スケートの小平選手と支援をした勤務先との感動的な関係。

ジャンプの高梨沙羅選手の実家がコンビニ。

 

といった記事がネット以外のメディアでも、盛んに紹介され、

地元を一躍、有名にし、活気づけています。

 

・・・ オリンピックが終わっても、注目と熱狂は続いているようです。 当分、続くことでしょうねえ~。・・・

 

オリンピックのことを書き出したら、止まらなくなりそうですから、これくらいにして、

ここからは、自己紹介に移ります。

 

このブログを訪問していただいたことがキッカケで

もしかすると、長いお付き合いになるかもしれませんから、

長くなると思いますが、自己紹介を物語風に、書かせていただきます。

 

貴方の参考になる考え方などを書いていますので、

よろしければお読みください。

 

・・・ もう十分に長い! との声も聞こえそうですが、お許しください。・・・

 

 

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(以下、私の昔話です。)

 

生い立ちと育ったところ

 

私は、両親をはやくなくしています。

 

母親は、12歳。

父親は、15歳の時でした。

 

母は、私を生んですぐに肺結核で長期療養のため、入院。

そのため、私は、3歳上の兄と二人、

母方の祖父母のもとに預けられました。

 

預けられた祖父母の家は、田んぼと畑ばかりの超田舎。

牛や鶏、山羊に囲まれ、のびのび、成長。

 

叔母や叔父たちから、「お前は山羊の乳で育った」

と、親類が集まるといつも、今でも、その話でいじられています。

 

余談 ; 幼いとき育った田舎町は、今、マスコミでブレークしている

「ひふみん」こと、将棋の加藤一二三九段のふるさとです。

スポーツではないですが、人気ものが一人出ると、地域の知名度は上る良い例ですね。

 

 

父は、高校時代に水泳と陸上をやっていて、

どちらかで県の記録ももっていたほど、頑丈な人だったようです。

 

ようですという表現はおかしいですが、

 

私は、父とは、生まれてすぐに離れて育ち、

母が退院して、一緒に生活するようになっても、

父の仕事が忙しく、滅多に家にいることがなく、

話をしっかりした記憶がありません。

 

だから、両親のことを聞くのは、祖父母や親類からだけでした。

 

母も私を生む前は、丈夫だったと聞いていますが、

そんな頑丈だっららしい、両親が病気で若くしてなくなる。

 

その体験が、後々、私の将来進むべき道を後押ししてくれた。

 

と思っています。

 

両親を亡くした私たち兄弟は、祖父母や親類縁者の助けのおかげで、

無事、大学まで進むことができました。

 

 

「閑話休題」  大学時代を書き出すと、また長くなるので、ここでは割愛しますが、

遊びっぱなしの4年間でした。

 

サラリーマンになって学んだこと

 

無茶苦茶な大学時代を過ごし、

ようやく、大手流通グループ企業にもぐりこんだ私。

 

九州で2店舗目となる大型店に配属され、

売り場スタッフとして、勤務。

 

数年後からは、販売促進担当になり、

催事やイベントの企画を行ってきました。

 

この頃の面白ネタを一つご紹介すると、

前任者から、販促担当を引継ぎ、

自分で催し物の企画立案ができるようになった私。

はじめの内は、前任者の上司に習った通り、

実績のあるイベントを忠実にやっていました。

 

しかし、企画した催事の成績も上がっていたこともあり、

調子に乗った私は、

今まで、どこの店でもやったことがない催事をやろう!

と突飛もないことを決心。

 

その突拍子もない催事は、

店舗の正面玄関横の広場で、紅白膜を張り巡らし、墓石と墓地の販売。

併行して、駐車場で簡易式の子供部屋と物置、小型クルーザーの展示販売。

というもので、当時としては画期的な出来事でした。

 

注目を集め、売り上げも上がったことから、

お店の上司からは、なんのおとがめもありませんでしたが、

後日、本部の営業本部長から、こっぴどい、お叱りをいただきました。

 

曰く「国道に面した、店舗の顔である、ロータリーで墓石を展示するとは何事か」

「売上が上がっているから、今回は、多めに見るが、これからはやるな!」

 

私が企画した、墓石、子供部屋などの展示即売会は、本部まで知れ渡り、

「あいつは、放っておくと何をするかわからん奴だ」

と烙印を押され、その後の、私の昇進に大きく影響します。

 

また脱線しましたが、本題に戻します。

 

突拍子もない企画が役に立った?

 

転勤で次に配属されたお店は、

百貨店と大型スーパーを融合させた実験店舗。

 

グループ会社の百貨店の包装紙やカードが使える。

当時、百貨店しかやってなかった、外商活動も行う。

 

人口10万もいない、地方都市としては、画期的な試み。

 

と、マスコミでも紹介され、話題にもなりましたが、

ふたを開けてみると、売り上げ予算を大幅に下回る、大惨敗。

 

この売上不振が、私の進む道を決めることに繋がります。

 

売り場の責任者をしていた私は、

ある日、上司から、売り場を離れて、外商部に行き、新規事業の開発を

やらないかと打診を受けます。

 

売り場の部門では、あと少しで昇格できる階級だったこともあり、

一人で新規事業を立ち上げるということの、イメージがわかずに

悩んでいると。

 

最も尊敬する上司から呼ばれました。

 

スタッフ
「どうだ、決心はついたか?」
gama
「いえ、まだ決心がつきません。」

「経験を積んできたセクションをはなれるのは勿体ない、
という思いと昇給にも影響するのではないかと悩んでいます。」

「それに何をどうすれば良いか、分かりません」

スタッフ
「なんでもお前の好きなようにやっていい。」

「売り場にいても、目立たないが、新規事業担当なら、競争相手もいない。
業績があがれば、昇格も今のポジションより早くなるぞ。」

 

gama
「本当に何をやってもいいんですか?」

 

スタッフ
「オオッ!お前の今までの、企画力と営業力を見て、俺が幹部会でお前を推薦した。」

「お前の好きな企画を立てて、どんどん提案してやってみろ!」

 

といういきさつがあり、新規事業担当となった私。

 

健康・スポーツ施設が、人を引き付ける魅力にあふれていることを発見。

 

新規事業担当になり、まずやったことは二つです。

 

一つは、グループ企業が行っている新規事業を、外商部のスタッフを通じて、

お客様に紹介。

そして、新規事業開発部門ができたことを㏚してもらうこと。

 

二つ目は、売り場の責任者を通じて、お取引様に、新規事業部門ができたことを、告知してもらうこと。

 

上記の二つのことを徹底してやっていると、いつしか、いろんな話が持ち込まれるようになります。

 

将来、健康やスポーツに関わる仕事をやると決心した仕事との出会い

 

ある日、私とは、ゴルフのライバル関係にある店長から、

ドクターH
「オイ!クラブの会合で産婦人科のM先生から、マタニティープールの計画をしているから、
オタクの会社で相談に乗って欲しいと、依頼があったぞ」

「お前が先生にあって、相談にのってあげろ。」

gama
「有難うございます。でもお礼で、ゴルフは手加減しませんよ。」

 

そして、M産婦人科を訪問し、先生の考えをヒヤリングすると、

 

 水泳をやると、妊産婦さんの出産が楽になり、生まれてくる赤ちゃんにも良い。

 だから、マタニティープールを創ろうと思っている。

gamaさんの会社は、スポーツ施設の運営や企画監修もやってくれるということだから、

ぜひ、協力してほしい。

 

これは、チャンが来たぞ。ここからが正念場だ!

とばかりに張り切った私。

 

早急に、事業計画の概要書を作成。

 

本部にいる、知り合いの上司に頼み込み、

グループ会社が運営するスポーツクラブの担当役員を紹介していただき、

電話で事業計画の説明を行ったところ。

 

はじめは、別会社のしかも、九州の田舎町にある店舗の、一担当者からの提案ということで、

半信半疑だったのでしょう。

担当役員は、

「企画請負契約書など、ドクターとの文書がない限り、ノウハウをしゃべるわけにはいかない」

と至極、事務的な口ぶりの受け答え。

 

そこで、すぐに事業企画をまとめて、M先生に提出。

 

めでたく、M先生の承認をいただき、企画請負契約を締結。

 

承認された企画内容

施設コンセプト 

妊産婦だけでなく、更年期で苦しむ女性を元気にする、女性専用フィットネスクラブ。

名称  

メディカルフィットネスクラブ「女の館・ヴィーナス」

施設計画

1F : 美容室、エステチックサロン、キッズルーム

2F : 検診室(ナースルーム)、マシンジム、スタジオ

3F : 温浴プール、無菌風呂

 

施設計画立案のヒントと根拠

出産経験者にアンケート調査を行った結果。

質問 : 出産して、すぐにしたかったことは、なんですか。

回答 : お風呂に入りたかった。

髪を洗いたかった。

二つの回答がダントツで多かったので、施設計画に反映。

 

企画書と契約書を○○スポーツクラブの担当役員に送ると、思わぬことが起きます。

 

なんと、担当役員が現地施設を兼ね、M先生と話をしたいからセッティングして欲しい。

との嬉しい依頼。

 

役員が視察に来られる日にちが決まり、当日、私が、空港まで出迎えに行くと、

私にとって、仰天するほどの驚きが待っていました。

 

驚きの人物の登場。

 

ロビーで役員と挨拶を交わしていると、派手なアロハシャツを着た、角刈り頭で精かんな面構えの

小柄な初老の人が近づいてきて、私をじろじろ、見ています。

 

誰なんだろう?  と思っている私に役員が紹介してくれたのが、

 

○○スポーツ社の△△社長です。

・・・ △△社長は、ボクシングの学生チャンピョンの経歴の持ち主で、スポーツ業界の有名経営者。・・・

 

げえ~!とのけぞりながら、社長と握手を交わしていると。

 

社長は、べらんめー口調で、

 「こんな面白い企画を立てたのが、九州の田舎にある店舗の奴だと聞いて、ツラを見にきた。」

 「俺の今回の出張は、グループ企業全体の役員会で報告している。

  だから、この計画は、グループ会社の社長たちに知れ渡っているぞ。」

 

スポーツ業界の著名人である、△△社長が直々の表敬訪問には、

M先生も驚かれ、おかげで、トントン拍子で計画が進み。

 

施設は、無事に落成。

 

オープンしたあと、大反響を呼ぶ。

 

完成した施設は、産婦人科が運営する、女性専用のメディカル・フィットネスクラブ。

 

マタニティープールを併設した産婦人科病院は、既に一つありましたが、

本格的なフィットネスクラブの併設は、全国初の試み。

 

当然、大きな話題を呼び、オープン直後から、マスコミの取材が殺到。

 

あまりの反響の大きさで、M先生が医師会から

 

病院の宣伝は禁止行為であるから、看板などは撤去するように。

 

と、厳重注意があるといった思わぬ、影響が出る始末。

 

その後の、展開がまたすごいことに。

 

全国から問い合わせが寄せられる展開に。

 

オープン時のマスコミ報道は、主に地方版でした。

それが一変したのが、オープンして半年後くらいのこと。

 

M先生が医学学会で、メディカルフィットネスの取り組みと効果を発表。

 

すると、発表を聴いた、マスコミから、グループ企業の○○百貨店へ問い合わせが殺到。

○○百貨店がわかるはずもなく、まわりまわって、私にも問い合わせが来る始末。

結果的には、○○スポーツ社の企画監修で、北海道や静岡県などを手始めに、

全国の自治体や医療関連施設に、次つぎ、メディカルフィットネスクラブが作られて行くことに繋がります。

 

どんな効果があった?

 

大きく変化したのは、M産婦人科病院の分娩数が、前年度より、35%増え、

県下の民間病院でトップになったことです。

 

運動をすると、

妊婦さんは、出産のとき安産になる。

更年期の人は、健康管理やダイエットになり、おまけに美容まで効果がある。

と、人気を集めることに。

 

オープンして、半年から1年後くらいの間に、

施設利用者は、入院患者さんの他、

 

若い人からシニア世代まで、たくさん人々が会員になり、

一般会員で700人と超えていたと記憶しています。

 

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こうして、

グループ企業が持っているノウハウを、企画監修というサービス・商品として、提供する。

といった、新規事業担当としての目論見が実りました。

 

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まとめ

 

ここまで、長々と私の体験談を書いてきました。

 

このメディカルフィットネスクラブ開発事業にかかわった体験で、

 

運動・スポーツ移設は、これから、地方の小さな町でも絶対に必要になる。

と、私は確信しました。

 

そして、数年後、いろんな方のご支援や協力をいただき。

現在の本拠地に会員制スポーツクラブとスイミングクラブを皮切りに、

ゴルフ練習場やアイススケート、温浴施設、スーパーやドラッグストアなど、

複合施設として、次々に展開することとなり、現在につながって行きます。

 

人口15万人の地方都市でも、成人を対象にした運動施設は必要。

その信念のもと、頑張って運営していました。

 

しかし、長い間には、紆余曲折もあり、順風満帆とはいきませんでした。

 

現在、施設のある本拠地の人口は、20年間で15万人強から、11万人強へ激減。

少子高齢化が進み、地域経済も低迷しています。

 

だけど、そんな地域だからこそ、

運動・スポーツで地域社会を明るくする。

この信念が変わることはありませんでした。

 

ここからの話は、また、長くなりますので、機会を見て、別の記事で書いていきたいと思っています。

 

この物語を読んでいただき、運動・スポーツの魅力を再発見していただけたならば、

 

私にとって、最高の喜びです。

 

これからも、このブログを訪問していただけるようにお願いしながら、

物語を終わります。

 

次回をお楽しみに。

 

長々とした駄文をお読みいただき、有難うございました。

 

感謝!

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