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筆者のGamaです。
このブログでは、健康やスポーツについて、いろんなトピックスを筆者の体験をもとに、
独自の視点で書いています。
今回は、スピードスケートの小平奈緒選手の連勝が止まり、
大きなニュースになった時。
小平選手が語った「解き放された」という言葉を
語った強靭な精神力が生まれた背景や
これまでの歩みを振り返ってご紹介してみます。
ニュースを見て、小平選手やスケートのことをもっと知りたいという方の
参考になるように、わかりやすく書いていきます。
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目次
「小平奈緒、連勝止まる」のニュースは超一流の証明
小平奈緒の37連勝が止まり、スポーツニュースだけでなく、
一般紙やTVのワイドショーでも、大きく取り上げられました。
女子500メートルで勝利を逃したのは、16年3月12日のW杯最終戦以来、
約3年ぶり。
3年にわたって絶対女王として君臨するのも凄いことですが、
負けたことがニュースなるということは、
彼女が超一流のアスリートであるという何よりの証明でしょう。
小平選手のプロフィール 目指した文武両道を実現!
小平奈緒選手のプロフィールは、ファンの方には今更のように思われるでしょうが、
あまり、詳しくない方のために、簡単に略歴を紹介します。
生年月日 : 1986年5月26日生まれ
身長 : 165㎝
出身大学 : 信州大学
コーチ : 結城匡啓コーチ(信州大教授)
所属 : 松本にある相澤病院。
小平奈緒の誕生日は、1986年5月26日で現在、32歳です。
身長は165cmと、大柄な選手が多いオランダなど海外勢と比べると小柄ですが、
この体で世界を舞台に活躍するのだから、強靭な体力を秘めているのでしょう。
出身は、冬季スポーツが盛んな長野県の茅野市出身。
スケートを始めたのは3歳から。
やんちゃな下の子が強くなるという傾向がありますが、
小平奈緒選手もやはり、小学生の姉についていき、スケートを始めています。
中学から通い始めた「宮田スケートクラブ」で力を伸ばし、
14歳で初出場の全日本ジュニア大会・スプリント部門で、
有力な高校生・大学生選手たちの中で、
日本女子スケート界では史上初の中学生王者になり、注目を集めました。
注目を集めたことにより、普通であれば、スケート強豪高校からスカウトされ、
そのまま、競技を続け、大学・実業団と進むことが多いのですが、
小平奈緒は、教員免許取得という夢に向かって信州大学進学を視野に入れ、
スケート部のない伊那西高等学校へ進学しています。
高校では、インターハイで2冠を達成するなどしながら、
勉学にも励んだ小平奈緒は、見事、信州大学教育学部に合格。
大学在学中も、大会で優勝しつつ、勉学に励み、
教員免許を取得し、文武両道を実現させています。
小平奈緒の人柄を表す、子弟関係と職場環境
小平奈緒の強さや魅力を表しているのが、
結城コーチや職場の相澤病院との関係です。
結城コーチは、信州大学時代から師事している恩師で、
小平選手が、信州大学の進学を目指した理由の一つが結城コーチの
指導を受けることだったということです。
小平選手と結城コーチの関係をお知りになりたい方は、こちらの記事をお読みください。
小平奈緒の職場
小平奈緒は、就職先選びにも信念を貫いています。
大学時代の活躍でトップスケーターと認められているので、
普通であれば、強豪の実業団に所属することを選びがちです。
しかし、小平選手は、結城コーチの指導を受けるために、
地元松本に拠点を置くことを優先に考え、就職活動を行いました。
そして、支援の手を差し伸べたのが、現在所属している「相澤病院」。
相澤病院の理事長が小平選手の人柄や経歴、
努力する姿に感銘を受け病院全体で支援を行うことになり、
今では、職員さんだけでなく患者さんなども彼女を熱烈に応援するサポーターになっています。
ちなみに、病院での小平選手は、「スポーツ障害予防治療センター」のスタッフとして
病院所属のスケート選手として活動しています。
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小平奈緒、転機は単身でのオランダ留学!
小平選手もここまで順風満帆に記録を伸ばしてきたわけではありません。
2014年2月に開催されたソチオリンピックでは、メダルを期待されながら、
5位の入賞にとどまり、失意を味わうことに。
その時、表彰台を独占したオランダに単身での武者修行を決断。
このエピソードでも小平選手のメンタルの強さがうかがえます。
オランダでは、2014年から2年間、トレーニングを積んで行きます。
トレーニングは、体力の限界まで追い込む日本式の練習法とは異なり、
試合に向けて徐々に集中力を高めていくようなオランダ式のマイペースな練習法でした。
小平奈緒は、オランダでのトレーニングを振り返り、
「金メダリストとしてのメンタリティや、大会会場での姿勢や立ち振る舞い方など、
技術面よりも精神的な変化・収穫が大きかった」
と語っています。
ここからが、快進撃の幕開けです。
小平奈緒のブレーク、W杯で総合優勝の快挙!
24年ぶり史上2人目の大記録達成。
小平奈緒は、2015年のスピードスケートのW杯最終戦、
種目別の女子500メートルで総合優勝を果たしました。
これは、日本女子スケート界の歴史の中で、1991年の島崎京子以来、史上2人目。
1995年の清水宏保・1996年の堀井学を合わせても、
日本スケート界の歴史の中では4人目という快挙です。
オランダでのトレーニングで身につけた“大事なところで結果を出す集中力”と、
帰国後、結城コーチとの二人三脚で築き上げた、技術と精神力とが
快挙を成し遂げた要因でした。
2015年は、12レース中8回も表彰台に上った小平奈緒。
冬季オリンピックで2大会連続金メダリストに輝いている最大のライバル、
韓国の李相花(イ・サンファ)を破るなど勝負強さを見せつけるなど、
小平奈緒にとって、2015年は、大きなブレークを果たした1年だったでしょう。
李相花(イ・サンファ)とのライバル物語は、平昌オリンピックで感動を呼ぼ起こしました。
小平奈緒の精神力と人間性、平昌オリンピックで花開く!
2018年2月18日。
平昌オリンピック女子500メートル決勝で、
スピードスケート日本女子初の偉業が生まれました。
しかも、オリンピック新記録樹立と
ライバル、李相花(イ・サンファ)との友情物語が世界中のファンに感動を与え、
賞賛されるというおまけつきです。
2016年10月から始まった、小平奈緒の連勝記録、
最大の目標だった平昌オリンピックの大舞台まで「25連勝」。
ここからまた、小平奈緒が強靭な精神力を見せつけます。
小平奈緒、平昌五輪後、燃え尽きない精神力!
一流のアスリートでも、オリンピックの大舞台で好成績を残して、
その後、目標を見失い、”燃えつき症候群”に陥る選手がたくさんいます。
しかし、小平奈緒は違いました。
「500メートルの世界新記録樹立」
新しい目標を立て、ストイックなまでに自分を追い込むトレーニングを続けます。
そして、生まれた37連勝!
前人未踏の大記録は小平奈緒が超一流のアスリートである証でした。
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まとめ
37連勝が止まり、「周りの重圧から解き放された」と語り、
肩の力が抜けた今。
小平奈緒自身、世界新記録樹立までの視界が開けたのではないか。
スケート漬けにならないよう、あえてスケート部のない高校へ進学。
大学も教えを乞いたいコーチや教員免許が取得できるように、
難関の国立大学へ進学し、見事目標達成。
他のアスリートとは違う道を選んだ小平奈緒。
集大成ともとれる世界選手権での世界新記録樹立に期待が高まります。
ここまで、読んでいただき、ありがとうございました。
この記事は終わりますが、
少しでも、小平奈緒選手の人となりや精神力の強さが伝われば、
うれしい限りです。
スピードスケートのファンが増えることを期待しています。
よろしければ、またのご訪問をお待ちしています。